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そんなこんなで感想(2)です。
前回同様、激しくネタバレです。 各人物の考察的ななにか ・ジュドー 富野監督に言わせると、パイロット能力のアムロ、ニュータイプ能力のカミーユ、バイタリティのジュドーだそうです。(出典不明、うろ覚え) この言葉通り、ジュドーは生命力にあふれ、いつでもなにかしら行動を起こしています。 ジュドーがふさぎこんだのは、リィナが死んだかと思われたときだけで、自身のニュータイプ能力についてや、自分がなぜ戦うのかについて悩むなど、ガンダム、Zガンダムでやってきたことをまったくといっていいほどやっていません。 ハマーンに、お前はなぜ戦うのかを聞かれても、直感によって、すぐに答えを導きだしています。 その直感には、カミーユの思念が絡んできたものでした。 この、ジュドーの、あまり悩まなかった、というのは、かなり重要であると思います。 アムロは、ニュータイプというものについて、前例のない中で、悩み、ニュータイプというものに折り合いをつけました。 カミーユは、ニュータイプというものについて、クワトロ、アムロという二人のニュータイプ代表のような人物とかかわることによって、ニュータイプというものに折り合いをつけました。そして自分で消化していくうちに、最後はニュータイプというものについて、理解し、自分がなにをなすべきが、どうあるべきかまでも悟るまでに至ります。 そして、ジュドーは、カミーユと触れ合ったり、ハマーンと触れ合ったりして、ごく自然に、ニュータイプというものを受け入れていったように描かれています。最後に、ハマーンに問われたときも、その場で答えを出したというより、自分の中にあった答えを言葉にしたという感じでした。 これは、人類の革新のための、ニュータイプの成長は終わったという風に解釈できると思います。 ニュータイプという異形の存在は、人類の存在に寄り添いうる形(性格)を持つに至ったのです。 アムロからカミーユへ、カミーユからジュドーへ、こうして受け継がれ、徐々に成長させてきたニュータイプという存在は、ジュドーの代に至って、ようやく人の未来に向かいうる形になったのではないでしょうか。 ジュドーの、素直なニュータイプの受け入れ、これこそ、これから人類にもたらされていくニュータイプという存在が、ごく自然に受け取られ、人類に革新をもたらすという暗示であり、象徴であるのだと思います。 しかし、ジュドーは最終話で、木星に旅立っていってしまいます。 これは何を表しているのでしょうか。 (3)に続きます。 わかりずらい文ですが、何かしら伝わったらうれしいです。 PR |
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