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今回は、リトバス、というかkeyについて、書く。
自分のプレイしたことのあるやつも少ないから(プレイしたことがあるのは、リトバス主要6人+refrain、CLANNADの渚とトゥルー以外全ルート)、マトハズレなことを書いているかも知れない。 しかも、伝わりずらいかも知れない。 まあ、でも、自分が感じていることを、ストレートに書きます。 ですので、細かいところは無視して、僕のおおまかな意見だけでも分かっていただければ幸いです。 注意事項: key好きの人、怒らないでください。勘弁してください。 リトバス等のネタバレあります。 僕はリトバス、CLANNADをやっていて、違和感を感じた。 keyに感じた違和感、それは一切余分なものがついてないということだ。 keyの作品には、「笑い」と「感動」以外の要素が、全く入っていない。 製作側も、この2点だけに絞って、シナリオ作りやキャラメイクなどをしているのではないか。 この一点が、すべての違和感の元であったのではないか。 あまりにも作られていて、感動するか、笑うかの二つしかない。 key作品において、前半は笑い、後半は感動のためにある(前半は顔見せの役割もあるが)。 すべて、シナリオ、ストーリーもすべて、プレイヤーを感動させるためだけにあるという感じを抱かさせる。 製作手順として、逆になってしまっている感じがする。 本来、ストーリーを作ったよ→感動的なストーリーになった であると思う。 しかし、keyにおいては、感動的なストーリーを作るぞ→なんとか感動的にした という風になっている気がするのだ。 感覚的に言えば、ぎこちない、というか、気持ち悪さ?見たいなのを感じる。 そこが、違和感の元になっていると思う。 ストーリー造形として、key作品における雛形、とも言えるものがあると思う。 子供の頃の理不尽によって、現在つらい思いをしている ↓ 主人公と出会う。 ↓ 子供の頃の理不尽を、奇跡によって解決 という流れ。もちろん、これにあわない奴もあるだろう。 でも、大多数のは、これだと思う。 例えば、ことみ、風子、小毬、来ヶ谷、クド、美魚、そしてrefrain。 すべて、理不尽に端を発し、奇跡にて物語が終わりを迎える。 いや、どんな物語だって、奇跡なところがある。 こんなこと言ったら何だけど、 ストーリーが、薄い。 そこには何にもない。 このストーリーだと、単に「打ちのめされた、かわいそうな子」と「プレーヤーの涙を誘う物語」を作りたいがためのストーリーであるような印象を受ける。 そして、そのようなストーリーだから、違和感を感じる。 続いて、キャラメイクの話。 このゲームをやっていて、ヒロインに対して、不誠実である感じを受ける。 それは、どんなことなのか。 話は簡単、キャラは、感動を届けるための道具でしかないからだ。 極端な話ではあるが、やったことのある人には、理解してもらえるかもしれない。 キャラが、生き生きとしていないのだ。 なんだろうか、キャラクターのセリフや行動、すべては「ギャグ」か「感動」のどちらかのためにしか存在していない気がするのだ。 例えば、普通のストーリー漫画なんかで、笑いを誘おうとした場合、キャラクターの個性の発露として、そのキャラにおもしろいことを言わせたり、行動させたりする。 しかし、keyでは、個性を利用して、おもしろいことを言わせたり、行動させたりしている。 この場合、キャラクターは生きていない。 感動に向けたキャラクターの動きもそうで、動かされているだけにしか見えない。 キャラクターたちは、人間に見えない。動かされているだけだから。 以上のように、key作品は、純粋に「笑い」と「感動」だけを目指している。 これを是と取るか、否と取るかは人の自由だ。 でも、感動と笑いだけを求める過程で、結構取りこぼしているものがあると思う。 そこが僕にはどうしても、いびつに見えてしまうのだ。 PR |
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