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【2025/01/15 08:39 】 |
綺羅星・・・
今日、秋葉原に行ってきた。

ガチャポン会館の場所を度忘れしてずっとあの近辺をうろうろしたり、目当てのものがなかなか見つからなかったりで大変でした。
で、報告が一つ。

スタドラのジャンボカードダスを買いました!!
紹介のページ
これのカードダス自販機が、ガチャポン会館ならあるかと思って苦労していってみればなく、ラジオ会館のイエローサブマリンの横ならあるかとおもって行ったらなく、しょうがないと思ってアニメメイトまで足を伸ばして買いました。
しかもアニメメイトではグッズではなくカード類に分類されているという見つけにくさ。
そして手に入れ、秋葉原を回った後に、家に戻り、ワクワクしながらあけました!!!
すると・・・・

まず、このパッケージでは、箔押し4種とノーマル12種があります。
箔押し4種のうち、1つは主人公、3つは綺羅星十字団の女キャラ。
ノーマル12種のうち、ロボ+キャラクターが4種、ロボのみが1種、男キャラ単体が3種、女キャラ単体(ノットヒロイン)、主人公+ヒロイン、女キャラ集合、綺羅星十字団集合が各一種、ということです。
一番欲しいのは、ロボ+キャラクターのやつ。その次が綺羅星集合とか、女単体とか、ロボ単体とか。
で、その次が男単体以外なら、欲しいの方に入る。
男単体のうち、箔押しなら許せる感じがした。豪華だし。


とまあ、ここまで書けば分かると思いますが、、、、



主人公単体、箔押しじゃない、ロボも写っていない、が当たりました。
というわけで、欲しくない2種のうちの一種を見事に引き当ててしまいました。
いやあ。
いやね、この主人公が嫌いなわけじゃないんですよ?
むしろ、好きな主人公ですよ。
でもさ・・・ 
お前のツラが欲しくて買ったわけじゃねえええええ
って事なんです。


今度リベンジします。
今度こそ・・・今度こそ・・・・
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【2010/11/21 22:45 】 | 日記 | 有り難いご意見(0)
当選したっ!!!
久しぶりにブログらしいブログをしよう。

とおもって、ネタを探していたら、思いもよらぬところからネタが。
な・・・なんと!
MF文庫J8周年フェアに当選しましたよ!!!
写真です。
MF文庫J8周年しおり
クリアしおりです。
タイトルは、ゼロの使い魔、僕は友達が少ない、まよちき、機巧少女は傷つかない。
ゼロは1巻だけ、僕は友達~は4巻まで持っています。

MF文庫Jの8周年記念フェアとして、2000名が当選しました。
さらにMF文庫Jの帯の応募用紙2枚で一口という、倍率がかなり低そうな懸賞です。
が。そんなことはどうでもいい!!
当たったことがうれしいんだ!!
最高だぜMF文庫J!!
ちょっとやすっぽいがそんなこたぁどうでもいい!
当たった!!あたった!!
それだけでうれしいんだーーーーーー


ちなみに、最後に懸賞が当たったのは、公文式のパズル小冊子(小学生のころ)でした。
この当選が人生で2回目くらいだっけな?
【2010/11/20 16:02 】 | 日記 | 有り難いご意見(0)
帰宅部のためのスポーツ帰宅概要
スポーツ帰宅概要
1.競技内容
出先の場所から自宅へ、いかに目的に沿いながら早く帰宅するかを競い、自己の成長を促す。

2.競技上の基本原則
徒歩、自転車、電車、バスなど、どの帰宅手段でも可能。
経路に関しても不問。
帰宅を行う際には、一人で行わなければならない。
服装、靴、ドーピング(法律の範囲内)も自由。
IE方式を除いて、他人と争わず、常に過去の自分との勝負をする。

3.競技方式

 3-1.T方式
帰宅する時間(time)を競う。現在最も行われている方式。
時間基点と場所基点の2方式がある。
時間基点は、基本的に終業時から自宅に到着するまでの時間を競う。
場所基点は、特定の場所を通過してから自宅に到着するまでの時間を計測する。
前者は公式の場でも多々採用される、スポーツ帰宅の起こりと共に発生した方式である。
後者は、残業、補習などのやむにやまれず終業時間から時間がたって帰宅する事情がある人々への練習用スポーツ帰宅として考えられた。よって、場所基点方式での記録は公式記録とはならない。
競技上の注意としては、時間だけではなく、その時間を出した際の手段やコンディションをも把握している必要がある。同じ手段、同じようなコンディション上で比較していくことが重要である。

 3-2.P方式
帰宅する際に規定の場所(place)を経由しつつ帰宅する。
帰宅する際に必ず寄り道をすることがある。
しかし、その際にもスポーツ帰宅を、ということで考案された方式。
寄り道し、楽しみつつも、いかに早く帰宅できるかを競う。
この方式では、T方式で述べた注意点に加え、寄り道した場所を覚えている必要がある。理由はT方式と同様である。
また、この方式では、遅さを競う、「スポーツプチ家出」というものがある。
これは帰宅から発展したもので、いかに同居人の心配のデッドゾーンを越えずに遅くまで帰らないかというものを競う。
交際相手のいない独身の成人にはほぼ不可能であることから、廃止しようとする運動もたびたび起きている。

 3-3.IE方式
いかにインパクト(impact)があり、かつ楽しませる(entertain)ような帰宅ができるかを競う。
この方式だけは他人と競うことになるが、競技相手すらも楽しませようとする姿勢が重要である。
基本的に、競技会のみで行われる。まれに個人で行う場合もあるが、推奨はされない。
内容は、概要のとおり、審査員及び観客に対しいかにインパクトを与え、楽しませるかを競う。
審査基準は審査員に一任されており、審査基準は変動的である。
それゆえに、各競技会では毎回ユニークな帰宅方法が発表され続けている。

4.禁止条項
・帰宅中の犯罪行為
 これをした場合、2週間のスポーツ帰宅禁止及び刑事罰に問われる。
・複数人による帰宅
 スポーツ帰宅としてこれを行った場合、周囲の帰宅愛好者に疎んじられる。
・過剰に派手な服飾をして帰宅
 スポーツ帰宅は人知れずやるものであり、目立ってはいけない。
・帰宅中の怪我
 怪我をした場合、失格とみなされる(ただし、擦り傷程度なら続行可能)。
 これは、この競技は生涯スポーツであるため、過激化させないための予防線である。
【2010/11/15 18:49 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0)
富野由悠季の紹介+なにか
富野由悠季(とみのよしゆき)。
1941年生で、御年69歳。
富野由悠季のほかにも、作詞時の名義として井荻 麟(いおぎ りん)、コンテ時の名義として斧谷 稔(よきたに みのる)という名前などを使っている。
監督、原作、作詞、演出、小説執筆、メカデザイン(ジオング等)などをこなす。
監督をした代表作品
『無敵超人ザンボット3』(1977)
『伝説巨神イデオン』(1979)
『機動戦士ガンダム』(1980)
『戦闘メカ ザブングル』(1982)
『聖戦士ダンバイン』(1983)
『OVERMANキングゲイナー』(2002)
尚、テレビシリーズではキングゲイナーが最後。
ただし、ネット配信で全6話の『リーンの翼』(2005)を製作した。
事実上の最終作(現時点)は、劇場版Zガンダム3部作(2005~2006)。

人物について
俗にツンデレといわれるほど、ツンツンしている(基本的にデレない)。
自身の作品については厳しく見ており、満足することなく向上しようとしているっぽい。
インタビューでは、自身の作品をほめることをせず、問題点を指摘する事が常である。
アニメを見る大人については、快く思っていないらしい。

作品について
富野監督は、作品によって「黒富野」や「白富野」などと呼ばれる。
黒富野状態での作品は、作品雰が陰鬱で、人が多く死んだりして、精神に打撃がくる。
白富野状態での作品は、明るくて、希望に満ちている。
僕はどっちも好きだが、一般には黒富野の方が好かれているようだ。
また、ロボット物ながらも女性登場人物が多いのも特徴だろう。
ザンボット3からVガンダムまでは、大体交互に黒、白となっている(ザンボット3、Vガンダムは黒富野)。
Vガンダムを監督していたときには鬱病だったとも言われ、Vガンダムの終了を機にしばらく監督業から遠ざかる。
その後、ブレンパワードで復帰し、∀ガンダム、キングゲイナーと3作立て続けに白富野作品を製作。

作品について その2
富野作品では、登場人物がみな人間らしい、というのが挙げられる。
というのも、だいたいの登場人物が人間らしいエゴを剥き出しにしているのだ。
怒鳴りあったり、言い合ったりして、登場人物の皆が自分をぶつけあっている。
これがまたリアルで、見ていて真に迫るものがある。
ただの絵の連続で、しかもSFであるにも関わらず、リアルを感じさせる。
富野監督のうまさは、そういった人物描写というのが一つ、あるだろう。
もう一つ、富野監督のうまさがある。
それは当然、ストーリーのうまさだ。
まず、全体を通した物語として、面白い。
また、一話ごとに見てみても面白い。
物語の推移も面白いし、見ている時点でも面白い展開。
そんな感じで、ロボット物としては理想的である。
ただし、富野監督の作品を理解しようと思ったら、正直難しい。
何個も作品を見て、初めてぼんやりと共通項とか、そこから見えてくるものがある。
まずは見て、そこで感情に直に訴えてくるものがあるから、それを感じれれば、それがいいと思う。
細かいことに関しては、このブログのZZについての記事を参照していただきたい(宣伝)。

宮崎駿との対比から見えてくるもの
一般的にアニメの巨匠といわれている宮崎駿と比較してみる。
主に二つのことが見える。
 宮崎駿  富野由悠季
叙事詩的  叙情詩的
 芸術家  テレビの構成作家
という感じだと思う。
ただし、比較した場合にどちらに傾くか、という話であり、どちらも完全にそう、というわけではない。
まず、叙事詩か叙情詩かということ。
宮崎監督は、割と事物優先である気がする。
映画という短い時間で表すことだからだと思うが、事態が進行するのが先で、人が後ろからついてくる感じ。
対して富野監督は、人間優先で、人間描写が長い。
テレビシリーズということもあるだろうが、登場人物の心情とかがかなり丁寧に描写されていて、人間の心情から発して事物へ、という感じがする。
次に、芸術家か、構成作家か。
宮崎監督は、芸術家であると思う。
例えばポニョでは全部を人の手で書いたり、割と伸び伸びと、しがらみにとらわれることがあまりなさそうだ。
そして、作画スタッフはほぼ自社である。
お金にあまり囚われずに、自分の作りたいものを納得いくまで作る。
そういう意味で、芸術家であると思う。
対して、富野監督。
こちらは構成作家である。
限られた予算、人員、期間内で最大限自分の面白いもの、視聴者がおもしろいと思うような作品を作る。
そこにはスポンサーの意向やさまざまな制限があるだろう。
そういう意味で、テレビの構成作家だと思う。
単純に宮崎監督と富野監督を比較することはできないと思う。


ということで、分かるような分からないような紹介終わり。
ちなみに、僕は富野監督が監督の中では一番好きだ。
【2010/11/10 23:32 】 | アニメ | 有り難いご意見(0)
考察2010:カレーパンの姿
カレーパン―― この食べ物を、あなたは知っているだろうか?
インド発祥にして、日本の国民食にまで馴染んだ食べ物、カレー。
近代において日本に輸入され主食としての米の地位を脅かすまでになった食べ物、パン。
本来ならば交わることのなかったこの二つの食べ物が、日本という特異な文化を持つ国で出会ってしまった。
そして、生み出されたのが、カレーパン。
今回は、その奇跡の食べ物の姿について考えてみたい。

まずは歴史を紐解いてみよう。
調べてみると、1927(昭和2)年に、名花堂(現カトレア。著者の実家の近所にあり、著者もここのカレーパンを食べたことがある。そしていつも売り切れている)が「洋食パン」という名で実用新案登録したのが元祖とされている。しかし、それは、具の入ったパンをカツレツの様に揚げる、というもので、カレーを入れるかどうかは明記されていないようである。しかしながら、カレーパンの原型といっても差し支えないだろう。
計算すると、カレーパンには、83年の歴史があるようである。
もはやカレーパンは伝統食といっても過言ではないだろう。

次に、工程について考えてみよう。
カレーパンは、パンといいつつも、ドーナツに近い工程を取る。
作り方はこうだ。
生地を作る→カレーをはさむ→揚げる
見てのとおり、オーブンで焼くことはせず、揚げることによって、生地に熱を通しているのである。
また、衣をつけてから焼くというのも、特徴的である。
しかし、ここで私たちは大きな問題に直面することになる。
カレーパン業界において、決着のつかなかった問題、カレーパンカレードーナツ論争である。
この記事ではカレーパンという語を使ってきたように、著者自身はカレーパン派なのであるが、ここは平等に、どちらの主張も取り上げることにしよう。

箇条書きでまとめてみる。
まず、カレーパン派の主張から。
・慣例として、カレーパンといい続けてきたのだから、今後も継続していくべきである。
・パン屋にドーナツが置いてあるなど聞いたことがない。
・小麦粉の生地で作った立体的で丸いヤツは、全部パンである。
・カレーパンには穴が開いてないではないか。
次に、カレードーナツ派の主張。
・慣例は壊すためにある。今こそ慣例を壊すときだ。
・どう考えてもパンじゃない。オーブンで焼くやつがパンだろう。
・ミスタードーナツでも売っている。
・カレーパンを輪切りにしてみれば、生地部分が輪状になっているところがある。
といった具合で、喧々諤々の論争が繰り広げられている。
最近では、議論に疲れた人々が、パンかドーナツかの問題は置いておいて、「カレーと生地を揚げたもの」という新名称でお茶を濁そうとする新勢力も現れ、カレーパン業界は荒れに荒れている。
私も自説を説きたいところではあるが、数多くの批判を浴びることであるのは明白なので、ここでは自粛させてもらいたい。

さて、最後に、本当においしいカレーパンとは何か、である。
これには諸説あるだろうが、私なりの理論を展開させつつ、カレーパンの本質に迫りたいと思う。
カレーパンの根源的なコンセプトに立ち返った時に見えてくるものがあり、それをカレーパンにこめればおいしくなるのではないか、というのが私の考え方である。
カレーパンの原型は、「洋食パン」であり、昭和2年に開発された。
洋食(日本風西洋料理)は大正期にはすでに普及しており、洋食自体は珍しいものではなかった。
また、カレーパンはパン屋の開発したものであった。
これらから言えるのは、「おいしいパンを」ということであろう。
ここではじめに戻ってしまった。
何だと思うだろうが、これが一番である。
「おいしいカレーパン」だと思ったら、それがおいしいカレーパンなのである。

なんだかんだ言ってきたが、カレーパンとは、カレーパンであり、カレーパンでしかない。
我々が口にするカレーパンはやっぱりカレーパンであって、カレーパン以外の何者でもない。
そして、カレーパンは、カレーパンというだけでおいしいのであり、おいしくなければカレーパンではないのだ。
私たちは、カレーパンを見つめすぎた故にカレーパンの本質を忘れ去りながらもカレーパンを食べいたのだ。
今一度、自分の中のカレーパン像を見つめなおし、カレーパンに対して真摯な姿勢を持っていくことが大切になっていくのだろう。(終)


<あとがき>
ここまでは理論を優先してきた。
のらりくらりと書いてきた。
きっと、読者は私には好みがないとでも考えているのだろう。
じっとしているのにも疲れた。
はらに溜まったものをぶちまけよう。
ふっくらしすぎの生地はいけない。
いっても、生地が無さすぎはもっといけないが。
くうどうがあるカレーパンもあるが私は無いほうがいい。
しっかりとルーでいっぱいになってるのがいい。
よしんばルーで一杯でも、味がよくなくてはダメ。
んーーーっと辛いのもあるが、それはダメだ。
できれば、甘くなく、ちょっと辛いよりがいい。
スパイシーなルーでなければならないのもポイントだ。
【2010/11/04 19:17 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0)
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